備忘録

あかし

めぐる

 

 

 

年が明けて24時間と少しが経ちました。

皆様如何お過ごしでしょうか。

 

記録を書きます。

3年と半年にピリオドを打ちました。

もう会えないこと、話せないこと、声を聞けないこと。

視線が交わらないこと、体温を感じられないこと。

様々な変化を知ることができないこと。

思えば寂しくなることはあるけれど、

ふたりで話していた最後の時間ですら、

ワーッと泣いて終わりたくないと言外に含めて

そのあとの会話で揃ってスンッ…となるくらいにはやっぱしょうがなくて、これが最善で、それ以外の選択肢ってなかったなあと。

 

私は私ですごく寂しい思いをすることが多くてそれがきっかけでもうやめようここで終わりにしようと決意するに至ったけれど、

相手は相手で私の過干渉さや与えれば返ってくるという意識、変わらなくて良いと言いながらその実そうではなかったというところにけっこうしんどさを感じていて苛々したり会いたくないと思っていたらしい。

 

結婚できない覚悟がないというのは、自分のことがいちばんなので、結婚とは自分より相手を幸せにしょうと覚悟あってこそのものだと考えているから、という意味らしい。

 

 

ベソベソしそうになるたびに寂しさに溺れてる場合じゃない、そんな暇ない、やらなくちゃならんことが山積みなんだから、と思って我に返る。

 

 

けど正直めちゃくちゃ寂しいし、ひとりになれば、日常に戻ればめちゃくちゃ泣くかもしれない。

ぶっちゃけ実家で正月過ごしてる今ですらちょっと泣く瞬間ある。泣いたとてなんだよな…あれ以上は続けらんなかったし…ってスッと引っ込むけど、さりとて…

 

ただ、こみ上げて耐えられないほどの寂しさに襲われないことには戸惑いを隠せない。自宅に帰れば、30日、慌てて家を出る時のまんまだから色々なものが散らかってそのまんまで悲しくて泣いてしまうかもしれない、でも今はそんなに…ただ静かに悲しい…それが、これでいいのか、大丈夫なのかと怖くてならない。このまま、二度と心が粉々になってしまうかのような辛さや寂しさに襲われることのないまま忘れていってしまったらどうしよう…と怖い。寂しくならなくても、忘れないでいられるならそれで良いのだけれど。

 

 

>悲しくなる時がきたらその時悲しめばいい

>たとえ二度と開かなくても、いつかそれがあなたの灯台になる