備忘録

あかし

忘れたくないこと、気づき、学び

 

 

今年わたしは27になる。

とは言え年は明けたばかりだし、わたしの誕生日は11月なのでまだ先と言えば先だけれど。それでもわたしは今年27になる。

周りもなんだか人生の何度目かの節目を迎えようとしている友人が多く目に止まり、どんどん独立度合いを深めている様を日々見ている。そんな自分は友人たちより少しだけ年下で、おまけに今までをけっこうフンワリ生きてきたので友人たちと比較してこれまでの自分の見通しの甘さや今の状況の悪さにかなり焦りを覚えている。そんな時合い。

 

さて、見失いたくないな、忘れたくないなと思うことがあるので記しておく。

自分の弱さ、至らなさ、未熟さについてだ。

流行りのMBTI診断を例にも漏れず私もやっていて、あれやこれやとTikTokなんかで特徴や特性を列挙した動画をあさって自分を鑑みたり動画に反論したりして楽しんでいる。(ちなみにIXFP-Aである。)

そうやって自分の性質や生きづらさを紐付けて「意外と同じ人いるんだな!」「そんなもんかあ!」「フフフ」とか思う安心感も受けに行きつつ、とは言え…と自分を律しようとする自分もいる。セクマイ界隈に住んでた頃にも感じてたけど、ラベルがあって同じラベルの人間がいて同じだねって思えることって安心できちゃうよね。なんかそれだけでスッとするし。

 

 

話が少し逸れてしまったけど特に最近考えていることは自身の自他境界の曖昧さについてだ。

爺と呼んでいた例の人との関係を経て、いかに自分の自他境界が曖昧であったかを思い知った。相手は私ではない、ということを言葉の上ではわかっていたのにその実自分自身に当てはめて理解などしていなかった。相手の中に寂しくて孤独で癒やされたかった私を見ていたので異様な尽くし方をする時が多かったし、自分に何かしらが返ってきて満たされることを無意識に期待していた。(自分にそういう意識があるとわかっていなかったので、相手に対してすることが自分が欲していることだともわかっておらず、なので相手が自分のすることで感謝したり満たされたり過ごしやすくなったりしてくれないと無自覚に満たされなさに襲われて不快感に近い何かを覚えていた。もちろん彼に対してやっていた全てがそうではないし、そもそも私は献身的な性質である。)

また、私に開示されない部分があるとどうして私には教えてくれないのだ、話してくれないのだと悲しんだ。相手が自分から独立することへの阻害の意識みたいなもので、(いや、そもそも相手は私ではないので独立もへったくれもないのだが、)相手が自分に知らせていない部分や生活があることがわかると、極端な表現になるけれど、それが自分を拒否されている風に映ったりしていた。相手にとっては自分は必要ないんだなとか、拒まれているとか、そういう感覚があった。それで、寂しかった。

 

(※上記に述べたことはあくまで自己反省の部分をピックアップしての記載のため、過去に諸所で述べているアレコレの動機がすべて上記内容に基づくものだと解釈されるのは受け入れがたく、決してそうではないと言いたい。)

 

爺との時間が終わることに耐え難い寂しさを覚えていたけど、確かに愛する大切な人だったのだからそれは当然、自然な感情なのだけれど、因数分解するとその寂しさの何割かは『誰かを利用して』自分の古い傷を癒やすことをできなくなることに起因するものなのではないかと考えるようになった。誰かを利用してしか自分の傷を癒やす術を培ってこなかったから、相手がもうそれに付き合ってくれないことにたいする苦しさ寂しさはなかったか?(あっただろう?)と自分に問いかける正月だった。

 

明らかにそれは歪んでいる間違えているとわかるようなものについてはそれが不適当であることを私もある程度判断できていたので、これまでの26年間自分の中にそういう要素を認めれば意識を改め再発防止に努めてきた。

でも足りなかったし、むしろ全然何もわかってなかった。

だから寂しかったし、やりすぎたし、相手にとっては不快だった。

 

着地点をやや見失ってしまったけど、そんなこんなで、ふと寂しさに襲われた時「その寂しさは正しいか?適当な感情か?」と立ち止まるきっかけを得た。自分の傷の形が少しくらいはわかるようにもなった。今ここにある肉体が相手だったら自分はどう動いたかを考え、それが自分が欲している癒やしでありケアすべき部分だと理解できるようになった。

 

相手は私に学びを与えようとしてくれていたわけではないけど、『寂しいけれど、終わるに然るべきタイミングだと思う。自分の信じる幸せに向かって前に進んで、然るべき相手と然るべく幸せになってほしい。最後のお願いです』と認めてくれた彼に恥じない人間になりたいとおもう。誇れるおとなになりたいとおもう。

 

そんな2024年の始まりです。