備忘録

あかし

雨の中で

 

1年と1ヶ月付き合っていた人と別れて9日が経った。

わたしはなにかと記録を残すことが好きなので、言語化もうまくできそうだし久しぶりに元パートナー(以降、元パ)関連でプチ長文を書いても良いかなと思った。

記事を書くためにスケジュールを確認して、まだ2週間も経っていないことに心が震えている。

 

数日前久しぶりに元パのことを思い出して感傷的になっていた以外、別れて以降のわたしは某マッチングアプリのひとたちと遊び呆けていてチャランポランなことをしているのでふと薄情なのかもしれないと思うことがある。

 

感傷的になっていたときも、深さがあっただけで感傷的になっていないときに元パについて思考するその質や内容と変わりがあるわけでもない。

 

「まだ好き?」と問われれば

黙考の末に一言肯定するだろう。

「もう一度付き合いたい?」と問われれば

とても辛く苦しかったので望まないと答えるだろう。

この内容に変わりはない。ただそれだけ。

 

要するに、親身に話を聞いて助言をくれたフォロワーの評する通り「時期と年齢が悪かった」のだ。

だから、今戻ってもループにしかならない。

その確信が明確に存在するほどには元パとちゃんと真摯に向き合って関わって過ごしていた。

 

もしも35歳くらいになって、お互いがまた交わることがあって、お互いに同じように「長い関係でいたい」と望むのであれば、わたしは元パと歩く人生を選ぶと思う。

 

 

でも、基本的に誰か特定の人と交際していたい欲求が無いし、特に今はそれが強いし、

少なくともこの先3年くらいは相手から強く求められて自分もそう思うことがない限り恋人探しと呼ばれるものをしたいとは思わない。

 

薄情なのだろうか。

でも、互いが分かたれた今、元パに義理を感じる筋合いはないのだ。

 

あくまでもわたしはわたしだし、

わたしに関する選択はわたし自身で出来るし

誰かと特別密接に関係しなくともひとりでも生きていける。

 

深い部分では繋がっているかもしれないけれど、

元パと交際していたときの自分と

今の自分と

相反して感じられるふたつを比べてしまったりしながら、いまはこの時間を良いと思って過ごしている。

 

別れ際に交わした『最低半年は空けよう、その後にまた互いが望むのであれば関わり合えば良い。私たちの関係は一旦、今年は今日で終わり』という誓いが、自分の心を救い支えている節は大いにある。かもしれないね。

 

 

また書きます。