備忘録

あかし

砂ぼこり

 

 

 

何を書き残しておきたいかを考える。

 

 

伝えたいことが溢れるほどあって、

記しておきたいこととの切り分けをうまくできる自信がない。

 

 

薄暗い寝室、湿度を含んだ藺草の香り

作ってくれた料理、スズキの唐揚げとろろ丼、シャバシャバのカレー、半熟卵のオムライス、ちょっと薄味だった青椒肉絲

私のために買ってくれたトイレの音姫

毎回出してくれるけど履かれることのないスリッパ

家に通うようになってから増えたカトラリー

言い出せばキリがない数々の記憶

 

 

 

2021年の5月、

付き合ってって、言わせて本当にごめん。

離れられなかったのは私も同じなのに、

希望には応えられないって何度も言われてるのに、

分かってるふりしてなんにも分かってなくて振り回してごめん。

 

 

気分屋で、衝動的で、

思いつきで喋ってばかりで、

平然と1ヶ月前と違う話をするし

かと思えば同じ話を初めてかのように何度も話すし

送ったLINEの送信取り消し数は数え切れない程あるし

ほんと

振り回してばっかで、ごめん

 

 

 

好きなところは今までにも伝えてきたようにたくさんたくさんあるけれど

あなたが私に興味を持って知ろうとしてくるその態度が

私にとっても特別で、ありがたいものだった。

 

 

 

あなたが自分のことを話してくれるようになった時、

本当に嬉しかった。

昇進したこととか、大物が釣れたこととか、友達の話とか。

自分のことを話している時のあなたの表情が大好きだった。

踏み込ませないように、内側が見えないように、っていう振る舞いが少しずつ解けてきて

些細なことも、そうではないことも、自分から話してくれるようになったことが幸せだった。

 

 

と同時に、会って、食事をしたり泊まったり出かけたりしても、ちっとも名残惜しそうにせず、

寧ろ忙しない生活を送っていることも相まってさっさと ”ひとりのあなた” に戻っていくことが耐え難くさみしくて虚しさが募っていった。

その度に早く終わらせよう、と思っていた。

 

あなたが私を、私以外の誰をも選ばないことがあなた自身の強固たる決めごとのもとに成り立っているものであることを私は知っているのに、

手放さそうとしないながらに選ばなかったことを心底後悔すればいいと思っていた。

後悔してほしかったし、手遅れだって責めたかったのかもしれない。

 

 

 

まあなんか、

何を書いても手紙みたいになってしまうわけで、

ぽろぽろ泣いては鼻を詰まらせている。

 

 

さみしいですね。

 

別にもう待たないけどさ、

いつかよければ迎えに来てよ。

最近どうですか?とか言って

また判然としない言い回しの連絡を送ってきて

私と私の友達たちを「変わってないなあ!」って笑わせてよ

 

 

二度と会えなかったとしても

たまにはあなたの話を肴に友達と旨い酒を飲もうと思うよ

 

 

そういえば、

誕生日とかじゃない普通の日の中では一番と言っても過言ではない思い出が頓挫バーベキューの夜なんだよね。

本当に何気なく、

いつものように思いつきで出た言葉をあなたは覚えてくれていて

道具まで積んで高い肉まで用意して

でもご時世柄どこもだめで

家でコンロ外してやったよね

楽しかったな

 

 

 

書き始めなければ進む筆もないと思いここまで書いたけど

自分が本当に記していきたいものが何なのかまだ見えてなくて

だからオチもない。

 

おやすみなさい。

 

 

 

2023.11.19

 

オリーブのあなたへ

 

 

拝啓、あなたへ

 

さて、終わりの差し迫るこの日々に

何を思い過ごしていますか

 

日々深まる寒さに凍え

治らない風邪に震え

目を背けたりしていますか

 

 

きっと、

きっと、

何かを残しておかなければ

どこかに記しをつけておかなければ

わたしはあなたとの日々さえも忘れてしまうのでしょう

 

記憶の奥底に沈めて

時を重ねる毎にその重りを増やして

きっと二度と思い出すこともなくなるのでしょう

そうして私は私を守ろうとするのでしょう

 

 

出会って3年と半年

ちっともふつうじゃなかった私達ですが

あなたはちっとも自覚せず 気づいてくれませんでしたが

私があなたを愛していたように

あなたも私を想っていたでしょう?

 

揺るがしようのない都合があるながらに

わたしを大切にし

尊重してくれてありがとう

 

あなたがあなたのやり方で出来る限りにわたしを大切にしてくれていたことを、

私はちゃんと知っているよ

 

 

 

手放しがたく思う心理はとても厄介だけど

あなたがしあわせになるために

わたしがしあわせになるために

終わりにしましょう。

 

 

さようなら、

さようなら。

 

どうか、げんきでいて。

どうか、しあわせでいて。

愛していたよ

 

 

 

出会ってくれて、大切にしてくれて、心からありがとう

 

2023.11.18

輪郭

 

 

 

 

要らないなって手放してきたもののひとつによくある形としての友達形式のつながりがあって、

 

なんでだったか忘れたけど向かないなとか馴染めないなってのがあった記憶がある

 

 

 

 

 

いじめられて過ごしてきた学生時代だったし、数少ないクラスメイトとかも深く仲良くなれる相手は結局できずに、好きだけどなんとなく居心地が悪くて1人の時間の方が心地よいだとか落ち着くだとかってのを思いながら10代を過ごしてきたと思う

 

 

 

 

 

1人で過ごすことに然程の不自由を感じずにいられたのはツイッター上には広く浅い人付き合いが存在してたからだろう

 

ツイッター上ではいつの時期においてもどこかしらのコミュニティに属していたけど、その環境下ですらも集団としての共通項以外の繋がりを集団内の誰かと構築して特別親しくするという経験はなかった

 

 

 

そういうふうにして薄ぺらい寂しさと他の人たちとの違いみたいなものを繰り返し実感するたびに「向いてないんだろうし手段もわからんからまあ良いか、無理して疲れるよりこれはこれで自分の在り方だ」と解釈して飲み下すようになった

 

 

 

それでも未だにいつのまにか仲良くなってるコミュニティ内の誰某と誰某の会話を見てなんとも思わないわけではない

 

「……」ってなったあと「じゃあ自分はこの人とDMでやり取りとかしてた時もっと仲良くなりたいと思ったか?必要事項をやりとりする以上の会話をするのは面倒だなと感じていたはずだからその羨ましさは不適当ではないか?」という考えに至り「うん、これが最適解」で落ち着く

 

これが一連の流れ

 

 

 

 

 

 

 

勝手な解釈で言い訳するとするなら“口数の多いADHDでありながら相互コミュニケーション能力に問題のあるASD”みたいな最悪タッグが自分の中で組まれていて、それが矛盾をうんでいるとも言える

 

 

 

 

 

 

 

長くなりすぎたけどここまでは前置きの話(?)で、

 

友達付き合いの形についてはある程度自分の中で形が定まっているので今更不自由することはあまりない。

 

 

 

が、殊恋愛関係においてはそうではないというのが目下の問題で、こちらについては未だにヒトトオナジとかフツウとかに思わずこだわってしまって必要のないアタリマエ(だと勝手に認識しているもの)を手放せずにいるのが現状だ

 

それをどう解決していくか模索していく必要がある

 

 

 

おそらくだけど、好きだった彼とちょっと特殊な関係にある今だからこそでき得ることも多いと思うのでこの機を流すことは惜しい

 

 

 

話すの面倒になってきたから雑に締める

 

めんどくさいけどこれから先の自分とその他の人たちのためにも頑張らねばならない 以上

 

 

 

 

 

追記

 

いちばん新しい元恋人との関係を経て気づいたことは、おそらく自分のこだわる“シアワセ”とはパートナーとの関係で得られる充足感ではなく、よく描かれる形としての恋人関係の形を自分も遂行できる人間になれるかどうかが肝であろうということ

 

 

 

その自分の中の“こういう風に”にこだわりすぎることは自分にとっては不適合で腐らせるものだから何は残して何は捨て置いていくかを選択していく必要がある

 

 2022.1.24

 

 

瓦解

 

 

去年のいまごろ、彼と寂しさについて話したことがある。

 

 

 

あの人は、ひとは孤独だとか寂しさは消えないとかそんなことを言った気がする。

 

 

 

そして出会った時と変わらず、わたしの寂しさや幸せの感じ方に興味を示した。

 

 

 

寂しいかと問われた。

 

 

 

ひとりでいることがイコール寂しさではない、と返したと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと「わたしに寂しさを教えたのはあなただ」と思った。

 

 

 

 

 

だから思いだした。

 

 

 

 

 

 

 


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2021.12.28

選択

 

 

ひとりって楽だ。自分の言動や振る舞いが相手にどう影響を与えるかを常に考える必要がない。誰か他人を思って生活したり相手に対する自分の気持ちの変化に向き合う必要もない。とても楽だ。好きに時間を使えるし、好きに異性と遊べるし、出費だって少なくて済む。相手に期待して悲しくなったり虚しくなったり喜んだり不満に思ったりしなくていい。穏やかで、静寂に包まれていて、孤独で、心地よくて、過ごしやすい。

 

 

 

 

 

わたしはいつまで「普通」に憧れて執着し続けるのだろう。誰かと過ごすこと、一緒に出かけること、同じことに取り組むこと、協力すること、たくさん会話すること、同じ方向を見ること、お互いを慮り尊重し大切に想い信頼しあうこと。

 

100%の執着で構成されているわけではない。私でもそういう人生が歩めるんだという希望と、そのパートナーとして一緒に過ごしていきたいと思えるひととの邂逅をあまりに奇跡的なこととして考えすぎてしまうがゆえでもある。

 

 

 

 

 

たくさんのことを教えてもらった。自分のことに専念する意志の強さ、趣味と生活と仕事とのバランスの取り方、アパレルブランドの数々、植物たち、新風館、メルカリ、香水ブランド、オキシクリン、ひとりくらしでの作り置きご飯のやりくりの仕方、価値観からくだらない商品知識までたくさん教えてもらった。誕生日のお祝いの仕方とか喜びの伝え方とか、お返しの仕方とか、電話は好きな時にかけても良いとか、そういうことも教えてもらった。

 

 

 

 

 

楽しくて、しあわせで、のびのびできて、うれしくて、がんばれて、自分以外の誰かを心から大切にできることがなにより幸せだった。なにもしないでも、同じ空間で過ごしてる時間が心地よかった。

 

 

 

良い女を手放すことになって後悔はしているって言ってもらえて、やり切ることができたなって思えて満足もしている。

 

 

 

2021.11.23

なんだこれ

 

 

 

 

なんだこれこれなんだこれ

 

なーんか不機嫌

 

何言われても「いいよ別に!!!」って返しそうな感じのむかむか

 

 

 

手に入ればそれで良いのか

 

 

 

2021.11.7

 

 

ともだち

ふつかめ

 

 

 

違国日記読んでたら日記書こうと思ったの思い出した

 

 

 

ともだち

 

楽しい

 

友達ではないけど

 

仲良しのお姉ちゃんと高校生ちゃん

 

 

 

このまま今の職場辞めても仲良しでいられるかな

 

 

 

本当の自分てなんだろうな

 

 

 

 

 

好きな人を好きなのは

 

何にも考えない素直な自分でいられるから

 

 

 

仲良しの二人とは

 

別れたあともしんどさの余韻はないけど

 

果たして彼らと過ごしていた時の自分の振る舞いは素っ裸の自分かなと疑問に思う時がある

 

 

 

好きな人と過ごしてるときの自分は

 

いつ黙るも

 

いつ話すも

 

どんな話題をどんな風に話すも

 

全部が全部「ああ、これがなんも装ってないわたしだ」って思えてホッとするから

 

だから好きな人が好き

 

好きになるだけならこれまでもたくさん人を好きになったんだろうけど

 

このひとと一緒に過ごす時間が幸せだからこれからもそうでありたいなと思う相手はなかなかいなくて

 

いまの好きな人は

 

どちらとも満たしてる人で

 

だから好き

 

 

 

わたしは

 

きっと、好きな人とどれだけ会わなくても

 

どれだけ話さなくとも

 

好きな人と関わって一緒に過ごす時間が月に数度でもあれば

 

きっと長い幸せの中で呼吸ができると思う

 

 

 

それを忘れないでいたい

 

 

 

もちろん好きな人にだって言わないことたくさんあるし

 

嫌な感情を抱くこともゴマンとあるけど

 

それでも

 

好きな人と過ごしてる時間がなにより幸せ

 

 

 

2021.11.6